2026-07-13

どうしても食べたい・・

今回のブログはわたしの日記のような、欲望のような、、記録です。

最近やけに食べたいものがあります。

やけに、、想像するとにやけてしまうもの、それはパフェであります。

パフェといっても、ランチのデザートとして出てくるおまけみたいな、プチデザートみたいな、
小さなサイズのパフェではなく、

「わたしが主役よ」と言っちゃってるようなパフェ。ちゃんとパフェのやつ。

背の高いグラスの中に、冷たいバニラアイス、カラフルな果物やクリームがいくつも重なっていて、上からしか食べられないのに、どこから一口目をいこうか少し迷ってしまうような、あの感じ。

ケーキとも違うし、ただのアイスとも違う。カラフルでいろんな味がして、口当たりも食感も温度も違う。つるん、ザクザク、ひんやり・・最後のひと匙まで、小さな物語が続くみたい。

パフェの本体はアイスクリーム。容器であるグラスがお洋服で、周りを飾る果物がアクセサリー、生クリームはストール、ソースはお化粧💄
パフェの語源通り、パーフェクトな素敵マダム✨(パフェの語源は「パーフェクト」なんだよ)

普通のカップのバニラアイスを食べてみたのだけれど、高さのあるグラスに入っていて、ちゃんとおしゃれしているアイスじゃないと満たされないんだから😡とわたしの中のわたしが訴えている・・(わがままなやつめ。)

考え始めると止まらなくて、ファミレスのサイトを回遊する。

面白いことに、ファミレスのパフェは夏だからか「桃」「メロン」を推しているようだが、それは違うんだ・・とまたわたしは面倒なことを思っている。

スタンダードのあれ、いちごとかバナナとか、アイスと生クリームと、コーンフレークが下に埋まってて・・
でもそういうパフェは意外とないものです。

これはデザイナーさんと打ち合わせの時に食べたパフェ(完璧だった)

友人と別日に同じお店で(理想的・・)

写真はどちらも秋田市の駅前にあった葡蘭馳(ぶらんち)というお店のパフェ。
ひっそりと閉店してしまったので、もう食べることはできない。

たまに思うのは、作家がなくなっても書いた本は残る、画家がなくなっても描いてきた絵は残る、音楽家がなくなっても奏でてきた音楽は残る、陶芸家がなくなっても作ってきた作品たちは残る。。
作り手がいなくなっても残り続けるものがある、一方で飲食は作り手がいなくなったらそのものは作り出されない。言ってしまえば、昨日食べたものだって、飲んだものだって、体に入れば消化されてしまう。文字通り消えて化けてしまう。この事実が嫌で、「最後の一口」が寂しいと思ってしまう性分。
その場所も空間も、味も雰囲気も、作り手(店主)がいてこその作品であるとすると今そこでしか味わえないのだから尊いと思う。

食べること・飲むことはその時を記憶して、自分に刻むことで残すことが唯一の記録となる気がする。

このパフェをもう食べられないと知った時に「次また食べよう」がないこと、「いつもある」は特別であることを痛感しました。だからこそ、今味わいたいものを珈琲だってパフェだって、味わい尽くしたいと思うのです。

珈琲を毎日飲んでいて、毎日味について考えて、焙煎について考えている。
それとは違う脳みそで好きなおいしいもののことを考えている。しあわせな脳みそ。
珈琲だって、今日はエチオピアの気分、グアテマラがこの季節にはいいな、とかあるから、きっと食べたいものも一年の中で移り変わっていくんだろうな。
だからいつか、桃のパフェが食べたい、とか、珈琲ゼリーのほろ苦いものが入っているものも捨てがたい、とか思うのかもしれない。今はスタンダードなあれ。

今の気持ちを大事にするっていうのは、できているようで難しいことです。
わたしなんて、ちっともできないです。
やるべきこととか、やらないといけないこととかを優先してしまいます。
そうすると、どこかで心が「へたん」となって、何かに逃げたくなったり、じぶんを責めたりしてしまいます。

だからこそ、自分の声をちゃんと聞くことを最近は大事にしています(実験中👩‍🔬)
だからこそ、パフェを食べるのです。(これを正当化したいだけ)

パフェ食べたくて絵まで書いちゃったんだから。
秋田にロイヤルホストできて欲しいな〜

さて、今年の夏は、どこかでお気に入りのパフェに出会えるだろうか。

みなさま、こんなわたしにおすすめパフェがあれば教えてください。

悔いのない夏を過ごしましょう。夏の味は夏にしか味わえないのだから!

ここまで読んでくださりありがとうございました・・!!

また書きます✍️

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